二千三百五十五年

"Making peace to build our future, Strong, united, working 'till we fall."

備忘録: 神去なあなあ日常【2025-09-04】

品位。この語は、一般的な語彙の範疇においては品格・気品のパラフレーズであるわけだが、話が鉱業になる場合は少し異なる。もの言わぬ鉱石についても「品位が高い」と表現することがあって、これは鉱石としての品質が高い、より定量的に言うなら、鉱石の単位重量あたりに含まれる有用な鉱物の含有量が高いことを意味している。

そのような意味において、『神去なあなあ日常』は、品位を感じさせないけれども、きわめて品位が高い文章だった。

私の生活には、しばらく読書習慣というものが消えていたので、こうやって、物理書籍という形でパッケージングされた、まとまった量の文章を読むのは久々だった。なので、ツイッターやらの活字がそうであるように、目が泳いで読書にならないのではないか。もっと言えば、私に読書ができないことを証することになるのではないか、と恐る恐る開いたのだけれど、これがもう驚くほどするする読める。止まらないし、進むたび引き込まれてもいく。

本当に最初の最初、導入を1ページめくっただけで私の心は奪われた。この『神去なあなあ日常』は、なんやかんやあって近畿の山村で林業をさせられることになった、横浜出身のシティーボーイの悪戦苦闘を描く典型的な教養小説ビルディングスロマンなのだけれども、そういった舞台設定への導入がとても滑らかに進む。

まず1ページ目は活字の比率の小さい会話から始めて、子供にも、活字アレルギー患者にも優しい、緩やかなアクセルの踏み方で話を進めつつ、そっと方言を出してこれが特殊な地方を舞台にしていることを示す。そうして舞台設定を一通り中立的に語り終えてから、急にナレーターの「我」が浮き出てきて、この小説全体が、平野勇気という具体的な名前のあるシティーボーイの、神去村での日常をしるす日記という体で進められることを明らかにする……まで3ページもかかっていない一方で、利発な小学生なら読めてしまうくらいの、かんたんで、気取らず、しかし面白い文体が確かなものとして現れてくる。恐ろしい読書体験。恐ろしいのだ! これを書いた人間のことも恐ろしいし、こういった洗練された文章を出版物に込めてくる商業出版という制度全体自体も恐ろしい。校閲と推敲がどれくらい込められているんだろうか。個人で勝負できるのか?

すっかり衝撃されてしまった。こればっかりは実際に読んでもらうしかないのが、その文章があまりに洗練されているので、以降、私の読書体験が、「どうやってこの『読ませる文章』をリバースエンジニアリングするか?」という動機に半ば駆動されることになったくらい。

とにかく、文章がすごく読みやすいし、それでいてすごく面白いのだ。何でこんな面白いのかよくわかんないんだけどスルスル読まされてしまう。ほとんど催眠に近い。わからないことをされているという意味では、教科書を初めて読んで知らない概念に取り組んでいくときのような面白さがあるんだけど、どこまで読んでもわかるようにならないので恐ろしい。自分の知性を完全に超越されている感じがする。怖い。

私の理解の限りでは、この読みやすさと面白さは、カメラの置き方の見事さにあるものだと思う。視覚、嗅覚、聴覚と、堪え性のない人の意識が次から次へと移ろうように、飽きの来ないつづら折りの情景描写で世界を描きながらも、これまた自然で、まあそうなるよなあ、俺にもこんな時期あったわ~と理解を引き出す心情の話がなめらかに行われていく。その心情の話にしたって、高い木に登って下を見ると怖い!というような生理的な話から、周りの誰がこうだ彼がこうだという社会的な感情まで、どんどん話が飛んでいく。

だから、正直話の展開としてはありきたりであるようにも思うんだけど(教養小説なんだから叙述トリックなんかあるわけない)、カメラがぶんぶん振られて、いや、五感全部を使ったメタ・カメラがあちらこちらにぶんぶん振られて、とっても面白く読めてしまう。職人芸だ。高いお菓子をよく味わって食べているときのような喜びがある、とくに味わいの複雑な高いチョコとか、ああいう。凡百のショート動画よりもよほどドーパミンが溢れてくる。

それに拍車をかけているのが主人公のキャラクター造形だ。彼は神経質な都会っ子のようでいて、すぐに起きたことを忘れる鈍感なところがあるし、それでいてあちらこちらにすぐ注意を振る。そうそう、鈍感なんですよ。実際は。とても鈍感で、虫とかが出ると悲鳴でぎぇーと声を上げるんだけど、一段落挟むと普通に適応している。もしかしたらこの村でやっていくのは無理かも~……みたいな思い詰めがほとんどない。どういうことなんだ。俺が10代の頃は風が吹くたびに思い詰めていたぞ。なあ。

余りにも文章がおもしろすぎたから、話は正直あんまり読み込めなかった。林業ってたいへんそ~、くらいの解像度に留まっている。この文章の作り方、面白さのメカニズムを理解しないままこの本を読み終えるようなことがあったら自分の知性に対する私の誇りが粉々に砕け散るんじゃないか? そのくらいの必死さで文章を読んでいた。本当に面白いから…… この小説が自分にとって数年ぶりの小説になったことを恥じもした。こういう経験と研鑽をなおざりにして書く文章に何か意味があるのか?と思い詰めもした。いくら深層学習が普及したって、彼らに面白い文章を書く能力がない以上(私は本当にそう思っていて、AIが出す文章は2025年になってもとてもつまらない──pixivでAI画像についているいいねの数と、AI小説についているいいねの数を見比べてごらんなさい──し、深層学習という原理の上で動くLLMがこれを超克することもないように思える)、我々はまだ文才を磨くことを強いられているからだ。

しかし、話としては典型的な教養小説だと思う。職業小説とも言う。こういった専門的な職業は、一見冒険譚が絶えたように見える現代人にとってもふんだんに残されている冒険の余白ということなんだろう。私たちは南極に旗を新たに立てることはできないが、そこで生活している研究者たちの生活に思いを馳せたりすることはできるというわけだ。それもまたロマンということなんだろう。新しい知識を得て、成長して、褒められたり、自信をつけたりする。自信をつけるのは楽しいことだからね。そういう意味において、この読書体験は私自身の冒険譚でもあったんだよな。