という題の本を読んだんですが、面白くなかったです。
とまで言うと嘘で、面白くも興味深くもあったんですが、現代の抽象芸術と神経科学の間の橋渡しをするために書かれた文章が、こういう作家のこの作品があって、それと似たこういう作品もあって、ところでそれと似た構造を持つこういう神経科学の知見があって……と、明瞭な結論の出ないままに話を転がし、色んなものを紹介し続けていくさざ波に落ちついている全体の構成にとても惑わされました。惑わされたというか、惑うことはないんですが、解きほぐした結果としてもそこまで意味のある結論が得られなかったので困惑したといった方が正しいでしょうか。この学際領域で意味のある結論を得ることは、当然、難しいことではあると思いますが……
例えるなら大学のオムニバス形式の講義のようなもので、関係性や示唆するところに十分な議論が与えられないまま次から次へと色んなことがらが「紹介」されていくにとどまります。一つのテーマに105分も与えられないのでなおさらです。本自体、全体で200ページとかなり軽めのものではあるのですが。抽象芸術と神経科学という、この本を駆動している二軸のテーマにもともと興味を持っていない人物がこの本を面白く読み進めるのは難しいでしょう(その二軸に興味を持っていない20世紀のインテリがいるのか?という議論はありえますが)。

紹介としては非常に面白かったんですよね。20世紀後半に形成された神経科学の主要な知見をもとに、それに先立つ抽象芸術の発展の方向性が再解釈されます。たくさん色んな絵画を、ときには絵画以外を紹介してくれます。例えばモンドリアンのような抽象芸術家が(当然、21世紀現在の神経科学の知見は持たない状態で)インスピレーションか独自の哲学に従って行った、色彩・形状といった表現の具象からの解放、つまり具体的なモチーフとは無関係に抽象表現はそれとして成立しうるとする宣言は、人間の脳の機能がそうなっている、すなわち、目の前にある赤色がりんごの赤なのか信号の赤なのか、あるいはそれを模擬する絵の具の赤なのかという、高次の情報である記憶や表象との目の前の刺激の関連付け、文中で言うところの「トップダウン処理」とは(ほとんど)無関係に、まず今得ているこの刺激が、青でも緑でもなく赤色だと知覚できる「ボトムアップ処理」を走らせていることと無関係ではないのでは? もしかしたら、とても関係しているのかも……そういうことがほのめかされ続けるのがこの文章です。原理的にほのめかすよりも更に踏み込むのが困難だというのはわかっているのですが、わかっているのですが。
この論法にははっきり言って無茶苦茶な部分もあります。例えばアメフラシ(神経細胞が高々2万個程度で、1000億個ほどある人間に比べて非常に単純で、細胞レベルでの還元主義的な解析を行いやすいので、記憶のメカニズムの解明などを目指す実験によく用いられる)を用いた神経科学の実験と、それから言える記憶のメカニズムについての考察を紹介する前に、「ところでカタツムリが還元主義的アプローチに有用であることは、画家のアンリ・マティスが既に示していて~」と彼のカタツムリを題材に取った抽象画の話をしたりするんですが、カタツムリが還元主義的な抽象画のよい題材になることは、それの神経的な特徴とは本当に何の関係もないですよね。全部が全部、とまでは言いませんが、本文の少なくない部分がこの調子なんですよ。この構成から言えるのは、神経科学と抽象芸術の両方に広範な知識を有している達人的な教養人なら、どんな神経科学の話題についても、それにつなげるための枕言葉ならぬ枕絵画を発掘して来れるという素晴らしい教養の広さでしかなく、科学的な必然性の話ではないのではないか。結局何が言いたいんですか?
なぜ脳はアートがわかるのか? なぜでしょうか。なぜでしょうね。この問いは表題ではなく読者への宿題でした。ただ現在の神経科学に蓄積された知見は、抽象芸術家が、例えば肖像のような具象的なモチーフを描くための道具であることから解放し、それ自体を表現の対象とするようになった、線とその傾き、色、運動、などなどといった諸々の原始的な特徴量について、網膜に流れ込んでくる原始的な刺激からそれを解析して抽出するための専用のボトムアップ・モジュールを脳が装備していて、それは「これが何なのか?」という題材の分析を行うトップダウン・モジュールとは別に機能することを示しています。なので、抽象芸術というのは、我々の脳が持つ特異的な情報処理機構のメカニズムに強い影響を受けている表現の形式であるということは言えるかもしれません──つまり、そもそも我々の視覚野が、りんごのデッサンの輪郭を描く線であろうと、モンドリアンの抽象画を分割する線であろうと、そういった個々の特徴の帰属先とは無関係に、これは線だ、と認識することができるからこそ、どのような具象的モチーフにも帰属しない抽象的な線自体・色自体・形自体の表現というものがありえるんじゃないかなあ、そんな気がするなあ……というのが本書の迂遠な結論です。なぜ脳はアートがわかるのかはわかりませんが、少なくとも20世紀前半の前衛芸術が、脳にとってよりわかりやすい形式へとアートを還元していったということは言える。
それを一言にまとめ直している言葉が本分中にもあって、曰く、単純な刺激のみを与える抽象芸術においては、むしろ鑑賞者の方にこそ、目の前のイメージを、自分の経験や感性に従って再解釈し直して関与する余地が多分に発生する。鑑賞者のシェアが増大する、というのをまとめて、「作者にとって創造とは解釈的なもので、解釈者にとっての解釈は創造的なものである」と転倒させることになります。ポスモダってかんじだ。
出てくるものは還元主義的で、ルネサンス期の絵画なんかよりずっと単純でありながら、外から見ると複雑怪奇に進歩していっている初期の抽象芸術の歴史を解釈し直す一つの光の投げ方として、とても独自で、面白いものではありうるのではないでしょうか。
というわけで、非常に有意義で、読まれる価値のある文章だったとも思うのですが、面白くはなかった、面白くなかったわけではないんですが、読むのにカロリーが必要な文章でした。その点やっぱり大学の講義でしたね。