二千三百五十五年

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週始論文: ネクロボティクス【2023-09-18】

 読んだ論文の備忘録です。毎週月曜日に更新されます。

出典

Yap, T. F., Liu, Z., Rajappan, A., Shimokusu, T. J., Preston, D. J., Necrobotics: Biotic Materials as Ready-to-Use Actuators. *Adv. Sci.* 2022, 9, 2201174. https://doi.org/10.1002/advs.202201174

概要

イグノーベル機械工学賞を受賞して話題になった”Necrobotics”(ネクロボティクス: 再生ロボット工学?)の論文。蜘蛛の死体を把持機構(クレーンゲームのロボットハンドのようなもの)に改造する手法、および蜘蛛再生ロボットの動作特性について論じている。

応用上の意義

蜘蛛再生ロボットは生物の機構をそのまま利用するので環境負荷が小さく、多くの部品の精密な組み立てが必要な従来の把持機構よりも単純かつ低コスト(蜘蛛の養殖がどれくらいのコストになるのかはわからないにせよ)で実装ができるという特徴がある。数百回の開閉で動作特性が変わる、蝋などで保存を試みても寿命が10日程度、生命の利用に伴う倫理的問題などの欠点もあるが、もしかすると、既存の”機械式”把持機構をレトロニムにするくらいの普及を見せる……かもしれない。

先行研究との比較

生体のメカニズムを模倣して工学技術として展開するバイオミメティクスや、生体組織を機械的なシステムに組み込むバイオハイブリッドのような分野には多くの先行研究があれど、本研究のように、生物の死体をほぼそのまま再利用する手法については先行する研究が無い。Necroboticsの語もこの論文で提案されたもののようだ。

ポイント

例えば人間の腕は、表と裏にそれぞれ筋肉を配置し、曲げたいときはひじの裏側(二頭筋)、伸ばしたいときはひじの表側(三頭筋)の筋肉を縮めることで腕の曲げ伸ばしを実現している。このような機構を死後にロボット化したいなら、電気的な刺激によって筋肉を動かしてやる必要が出てくる……が、それの制御は難しい。

一方蜘蛛においては、筋肉が脚の裏側にしかなく、常に脚を曲げる方向に力がかかっている。伸ばす筋肉の代わりをしているのが体液による流体動力で、腹部から脚の体液に圧力をかけると脚が伸びる方向に力がかかるような構造になっている。ここを利用する。蜘蛛が死んでも身体の構造自体は維持されるので、内部から何らかの手段によって圧力をかけてやれば脚が伸び、圧力を抜けば脚が曲がる、という把持機構が実装できるのだ。

具体的には、蜘蛛の腹部に注射器を刺し、そこから液体を突っ込んで圧力を調整するという手法が取られる。圧力漏れがないように接着剤で蓋をする工程なども挟まるが、1つ10分程度で出来るらしい。

実証手法

上記のように構成した蜘蛛再生ロボットについて、SEMなどの装置でその構造や劣化の性状を観察するという分析が行われていた。

また、万能試験機を用いた引っ張り力の試験や(把持機構がどれくらいの力に耐えられるかの調査)、注射器にかけた圧力と引っ張り力、脚の開く角度、繰り返し脚を開閉させた場合の角度の変化(あるいは劣化)などの試験も行われた。至って普通のロボットや材料の試験手法だと思う。

批判

最初の方にあまり本筋と関係のないポエットな文章がintroductionで書き連ねられていた。何分先例のない分野なのでそうでなければ何も書くことが無いのかもしれないが、人類による動物の毛皮の利用みたいなところまで持ち出してネクロボティクスの意義を論じる必要は特にないと思う。

手法については逆に批判が難しい。やっていること自体は全うなロボット工学の論文なので。把持可能な形状や表面性状についてももっといろいろ議論ができるとは思うが、十分な実験と議論がなされていると思う。ただ、繰り返し利用したときに把持機構が発揮できる力がどう変化するのかのデータが取得されていないのは気になった。実用化するならそこが一番重要だと思うので。

感想

イグノーベル賞で気になったので読んでみたが、蓋を開けてみれば存外普通の機械系の論文だった。機械系の試験の方法論に触れられる機械もあまりないので、よかった。

気になるのがこのような死体再生ロボットの実用化への道と分野の未来だが……エシカル消費が盛んに叫ばれる現在ではなかなか厳しそうな気がする。何より痛いのが劣化の速さで、いちいち死骸を付け替えるときに発生するロスタイムを思えば工業的な利用には向かないだろう。論文内で指摘されていたのは生体由来の環境への負荷の低さと溶け込みやすさで(ナマモノなので当たり前だが)、例えば、人間の手による観察結果への干渉を極力避けたい自然の生物の観察などの領域で局所的に使われる可能性はあるのかもしれない。

また、このような研究を通じて逆に蜘蛛の構造に理解が深まったり、あるいは蜘蛛の脚を模倣したバイオミメティクス的な把持機構(はもうあるのだが)の開発・洗練に繋がるようなこともあるとは思う。