二千三百五十五年

"Making peace to build our future, Strong, united, working 'till we fall."

ガイガンティック・ツイート: 諸根具足【2024-02-25】

諸根具足という言葉があります。

えー、なんでも元をただせばインドの梵本に由来があるのだそうですが、ともかく東アジアで広く信仰されている大乗仏教、そこで語られる諸仏の中に薬師様という大層ありがたい仏様がおりました。その薬師様がまだ菩薩、つまり未だ悟りに至っていない求道者であったときに、「もし私が無事に悟りを開いて如来となったならば、私はこのようにしよう」という十二の約束をなされましたので。これを十二大願と呼びまして、現世利益のわかりやすい薬師如来信仰の中心となっているのですが、かいつまんで列挙すればこのようなものです。

第一願、光明普照。
もし私が悟りを得たならば、我が光明でもってあまねく衆生を照らし出し、みなを悟りへと導こう。

第二願、随意成弁。
もし私が悟りを得たならば、衆生の意に随い、彼らがどこでも我が光明によって照らされ、仏性の開くようにしよう。

第三願、施無尽物。
もし私が悟りを得たならば、人々が悟りを開くために必要なものが、みな尽きることの無いようにしよう。

第四願、安心大乗。
もし私が悟りを得たならば、小乗や声聞の外道に道を踏み外した人々を正し、大乗の法によって包み込もう。

第五願、具戒清浄。
もし私が悟りを得たならば、人々が戒律を破ることの無いようにし、戒律を破ったものも、我が名を聞いて念じ称えれば、清浄に還れるようにしよう。

第六願、諸根具足。
もし私が悟りを得たならば、目が見えない、耳が聞こえない、痛みが消えないなど、様々な病や障害のために悟りを得られない人々も、我が名を念じ唱えれば、たちどころに全ての病気が治るようにしよう。

第七願、除病安楽。
もし私が悟りを得たならば、人々が病や貧乏のために苦しんでいたとしても、ひとたび我が名を聞けば、病は治り、身の上は安楽になり、悟りに至れるようにしよう。

第八願、転女得仏。
もし私が悟りを得たならば、悟りを得られずに苦しむ女が我が名を聞いて念じ称えれば、男の身となり、菩提に至れるようにしよう。(ひどい話ですが、仏教では女性は成仏できないものだとされています。)

第九願、安心正見。
もし私が悟りを得たならば、人々が悪い考えや煩悩に囚われていたとしても、正しいものの見方を取り戻させ、菩提を目指せるようにしよう。

第十願、苦悩解脱。
もし私が悟りを得たならば、圧政によって鞭打たれ、自由を奪われ、苦しめられている人々も、我が名を聞けばたちどころに全ての苦悩から解放され、悟りに至るようにしよう。

第十一願、飲食安楽。
もし私が悟りを得たならば、飢えと渇きの苦しみのために悟りを得られず、悪行に走るような人々がいたとしても、我が名を念じ唱えれば、彼らの苦しみを取り除き、悟りに至れるようにしよう。

第十二願、美衣満足。
もし私が悟りを得たならば、困窮のために服もなく、暑さ、寒さ、虫さされに苦しむ人々も、我が名を念じ唱えれば満ち足りるまで上等の衣服を与え、苦悩を離れ、悟りに至れるようにしよう。

私が初めて薬師如来に触れたのは、小学生だったか中学生だったかは忘れましたが、家族で岩手は平泉の中尊寺金色堂を訪れたときです。あそこは薬師信仰を中心にやっているわけではないので、薬師如来については、参道の脇に突き刺された木の看板でちょっとした説明が書いてあるだけだったと記憶しているのですが、まあ大層衝撃を受けたものでございます。未就学児のときは好きだったけどその時は好きでなかった、まあアンパンマンとかウルトラマンですとか、そういったものと我が身が、まるでだんご三兄弟みたいに一本串で貫かれたような衝撃をです。

薬師如来の実在は信じていません。念じ唱えても何も起きないので。しかし、100年も1000年も現世利益を求める衆生が苦しみのために薬師如来にすがり続け、また彼らのために信仰を維持し続けてきた人々がいることは疑いようもありません。まだ人格の確定していない少年に対するこの類の傷跡と先行者利益というものは根深く刻まれるものですから、私は死ぬまでこれをやっているのだとも思っています。しかしながら、私は悟りなど程遠い身ですし悟るつもりもないので、せめて諸根具足願を、もし私に仕事ができるのならば、人々が生まれつきの、あるいは後天的な苦しみによって、短い人生を自由に謳歌できないようなことのないようにしようとは長いこと考え続けておりまして、ためにBioなどにも好んで刻み込んだりしているわけですね。みなさんも素朴な無神論や科学技術の理解能力と全く矛盾しない程度の信仰というものを持つとよいと思います。私は私の工学に必要なのでこういうものを大事に持っています。