二千三百五十五年

"Making peace to build our future, Strong, united, working 'till we fall."

ガイガンティック・ツイート: 岡本太郎【2022-12-02】

 一月前(2022-11-05)に岡本太郎展に行ってから喉の奥につっかえ続けている話があるので、おれの精神衛生のために蔵出しします。
 タローマンの影響もあるのでしょうか、そこそこ家族連れも居た会場に入ってから15分くらい。いきなりぶち上げられている『森の掟』をまず見ておお、となり、たっぷりの風刺を感じ取れる『重工業』に加工機の影を見出してにへへと笑っていた陰キャ工学部画壇無縁おたくのぼくの気分は最高だったんですが、しかし、しかしだ。公営美術館にふさわしくシャッター音が連続していた会場にいた私に、突然言い争う声が聞こえてきたんですね。本能的に何だ何だと近づいて(5mくらいまで接近したと思います)みたらば、なーんか羽振りの良さそうな、後期高齢者までは行かないだろうけど定年は過ぎているだろう老夫婦が、背中に虎が刺繍されたジャンパーを羽織っていて、褪せて灰色になったらしいキャップを被った老爺と言い争いをしていました。私が近づいたのは初めからではなく、ある程度時間が立ってからだったのですが、彼らの口論の内容から、どうやら老夫婦の婦の方が作品に向かって身を乗り出して撮影していたところに老爺が老爺特有の正義感で注意をして、何やら触った触ってない言った言ってないの水かけ論に発展したらしいということは分かりました。おそらく40代くらいの恰幅のいい首元に脂肪をたくわえた男性もそこになぜか加わって、もう事情聴取から真実を明らかにすることができないことがすぐに分かるほど彼らはヒートアップしていましたが、甲高い興奮した声のたまらない不快さに比べれば、まあ真実などどうだってよいことです。当時はちょうど、ロンドンはナショナル・ギャラリーで起きた絵画スープ掛け事件から一週間ほどで、私も何となくそういうことに敏感になっていましたから、声高らかにSecurity!とでも宣言してからとりあえず何の意味もなく割って入って頭を下げてみようか逡巡してはいたのですが、その数秒のうちに係員のおばさんがインカムに何か囁いているのが見えたので、給金も発生しないのにこんなのに巻き込まれたって碌なことになるわけがないと冷静さを取り戻し、少し離れたところにあった『歓喜の鐘』のレプリカの陰まで移動しました。それでもやはり気になるので、なんでもない振りを装って別の絵に顔を向けながら右耳をそばだてていたのですが、そんなことをする必要が無いくらい大きな声が聞こえてきたんですね。最初に「場違いですよ」と言ったのは老夫婦の夫の方だったと思います。「場違いですよ、あなた」「場違いですよ」「出て行きなさい」。誤解されたくないので追記しておくと、老夫婦の婦の方も言っていました。ばつの悪そうな表情でさえも見せていなかった警備員のあんちゃんを伴って、先ほどの係員のおばさんとは別の、それなりに職位が高そうな係員の大おばさんが到着してからは、その繰り返しに「出禁にしてください」が加わりました。「出禁にしてください」「場違いですよ」「出禁にしてください」と繰り返す甲高い声の人間1と興奮した様子の人間2の姿は、私に、まだ小学生だったころに科博で目にした原人の像の姿を思い起こさせ、何と言われるでも無く、すっかり黙ってしまってその場から去り、エスカレーターに乗って次のフロアへ向かった老爺の背中の虎の姿がどんなだったか、もう思い出すことは出来ないのですが、それと目が合ったことはまだはっきりと覚えています。私は人間的にゆっくりと息を吐いて、30秒くらいかけて全てを忘れ、今日は残りの展示に集中しようと決意し、老爺が乗ったエスカレーターに足を踏み込んだのですが、次のフロアについてからつい周りを見回してしまった私の視界に彼の姿は移りませんでした。
 それから大学に向かい、空が赤くなってからの帰りがけ、わざわざ遠回りして向かった渋谷駅の『明日の神話』の前には大勢の人がごった返していましたが、私以外にそれの前で足を止めた人はいませんでした。それをどこか誇らしくさえ思いながら、数分、岡本太郎のことを思い出していた私の心に浮かんできた感情は、反芻されてしまったので、今でも私の中に残っています。私はまだ21歳で、若く、それなりに足腰もしっかりしているのに、一発ぶん殴っておかなかったことに今でも若干の後悔があります。三人だろうと殴れたはずです。足を滑らせただけで骨粗鬆症のリスクが増すような人間が相手なら一発と言わず馬乗りになって二発三発と殴ることも不可能では無かったはずです。どう考えてもするべきではないし、気分の悪さを押し込んでエスカレーターに乗った私の行動は最適ではあったと思いますが、たぶんあのジジババがくたばるまで月日が巡ってもおれはまだこの気持ちを引きずり続けることになるんだと思います。なんでおれがこんな惨めな気持ちにならないといけないんだ。矮小なモータルどもの顔なぞもうとうに忘れましたが、次に会うことがあれば、必ずフェラチオをしてあげようと思っています。